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シーラという子を読んで


私がこの本を読み終えたとき私が一番に感じた感情は「ホッと」した気持ちでした。というのも、シーラがトリィの元に来てからトラブルが続きっぱなしで、この本がラストに向かっていくにつれてショッキングな出来事がいくつも起こっていったからです。しかし、シーラとトリィはそれらの出来事をクリアーしていき、そして物語のラストで、トリィの元に来た時とはまるで別人になったシーラは、トリィと別れを告げ二人ともそれぞれの道を歩んでいくことになりました。私はこの心からこのラストに安堵しました。

物語の中で私はシーラの感情に注目しました。シーラがトリィの元に来た時のシーラを例えるならまさに獣、自分の感情をむき出しにし、怒りを覚えたら叫び、悲鳴をあげ、破壊行動や暴力行為に及ぶ様はまさに自制心のない獣でした。いわば人として自分を見失っていたといえます。そのシーラに対しトリィは、シーラに自分を取り戻させるために教師として指導を続けました。私はトリィがシーラに対して「~してみない?」という言葉を使っていたことが印象に残っています。荒れ狂いすべてを拒否しようとするシーラに対してトリィはあくまで無理矢理強制させることを極力行わずに、シーラの意思を尊重しました(シ―ラが間違えたことをしたのでそれをやめさせるためや、トリィ自身が激情的になってしまい強制させてしまうことは何回かはありましたが…)私はトリィのこのシーラの意思を尊重する教育方法のおかげで、シーラが人間としての成長を遂げたのだと私は思っています。シーラはトリィに出会うまで、父親に強制された生活を強要されていました。シーラはトリィと出会ったことで自分の意思が通る、尊重されることの喜びを知り初めてシーラは一人の人間、一人の子供としての道を歩めたのだと私は思っています。このことは現実の教育においても大事なことだと私は思います。子供に合わせることはないが、子供が嫌がることを無理矢理、強制的にさせることはよくないのだと私は思います。このことに気をつけ、子供の意思を尊重することで、子供は自我が成長していき大人になるための準備をしっかりとできるのだと思います。逆に子供に強制的に「あれをしろ!これをしろ!」と命令して強制させてしまうと、子供の自我の成長は妨げられ、それこそ昨今問題になっている指示待ち人間や、アダルトチルドレンのような人間に育っていってしまうのではないかと私は考えます。このようなことからも、トリィがシーラにしたこれらの教育指導は大変適切でよかったと思います。
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